2010/09/19

「ミュージアムの・もうひとつ」

Takamatsu Contemporary Art Annual Vol.01"Another Carnival"


初日のテープカットも無事終わり、関係者がぞくぞくと高松市美術館に集まってきています。

オープニングに行われた様々なイベントもお腹いっぱいな内容でした。
青木陵子さんと猪瀬直哉さんのトークショー、石田尚志さんのパフォーマンス実験、ゲストトークどれも聞きごたえのある内容でした。

作家本人の話しを聞くと、急に作品との距離が近くなったような気分にさせられます。
青木さん、猪瀬さんお二人作品に見え隠れするちょっとしたアイディアや制作姿勢を垣間みれた気がしました。
また、石田さんの映像パフォーマンスは映像、音といったメディアをいかに芸術というフィールドまで引っ張り上げるか、そんな石田ワールドの入口まで案内してくれる内容となっていました。改めて、身体的な表現がダイレクトに心に届く事を実感させられました。

最後に、ゲストとして来られた浅井俊祐氏(水戸芸術館現代美術センター芸術監督/本展アドバイザー)と林洋子氏(京都造形芸術大学准教授/本展アドバイザー)の二人による「ミュージアムの・もうひとつ」というトークにも参加できました。
まず、浅氏の美術館運営において、いかにして、モノを求めた美術館から、コトを求める美術感へいかに変わっていったかというお話から、林氏の歴史史から、「生きた美術館」を求めて、についてのお話が聞けました。
美術界における今後の課題を客観的に聞ける貴重な場となりました。

感想としては、まず、現代に先攻している現代美術の流れが私達(現代人)が仮においている美術、もしくは現代美術(コンテンポラリーアート)と呼ばれるカテゴリーと歴史的現代美術とは違う美術と言うことを定義づけられる様な内容だった。

認識としては、現代美術と読んでいた"アート"とは違う"アート"が今というこの瞬間に闊歩し、満ちきった結果、まさに"アート"の撹乱が起きている。

それを分かりやすく例えて「取っ付きやすくなったアート」と呼んでいたのだろう。
それとも、「街場」(街起こしや環境問題、社会情勢と絡んだアート)と呼んでいただろうか。未だ言葉すらない気配に「言葉」で求めた内容でした。

決定結論が近い将来見えれば、美術界全体の発展に繋がる定義なのでしょうね。
しかし、それこそが、作家や美術界全体が作り上げる副産物なのだろう。

また、美術館のあり方や、タイプについての議論で、古典派とホワイトキューブ派と地域巻き込み派を例に出しておられました。

私の様に、ヨーロッパ文化のバファエロやミケランジェロやピカソやクリムトを美術館で見て、それを芸術として認識し、ウォーフォルやタルコフスキーを異端児(仮)と認識してきた人間にはやや外れた感のあるホワイトキューブがどうで、古典的展示会場がどうでという議論までてんこもりでした。

そう、最近、よく耳にする、「現代美術の作家はホワイトキューブと戦ってる。」とか、「ホワイトキューブを好むか」とか、「ホワイトキューブを嫌がる」という話し。

私は、展示場所として、ホワイトキューブを懸念したりしない。
しかし、好みもしない。それは、私の美術史が、ルーブルやオルセー、または、西洋の歴史的教会から始まっているからだろう。

いままでの、カビ臭い、古くさい。または、新鮮。。。。。。
な美術館から、"生きた美術館"が年月を経て生み出されて行くのだろう。
考察はつづく