2010/11/29

相対性理論

科学の世界では光の速度によって人が認識する色や形は違うそうです。
物質が光の速度の99%で動くと人は動く物質を本来(日常)とは違う認識するのだそうです。



融合したり結合したり。
精選したり精鋭したり。

ça はどのようなイデオロギーなのか?
何をどう、映し出せば正しいのだろうか?
どう行動すればいいのか?
術を知らない。




2010/11/28

美観地区とMONJA





パリ時代、同じ釜の飯を食べた友人の展示会へ行ってきました。
今回は倉敷、美観地区。
彼女の世界は倉敷の世界とよく合っています。

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡ MONJA−古布mode−
第3回目個展 〜Roman艶〜
岡山県倉敷市の
大原美術館隣 新渓園にて開催
2010年11月23日(火)〜28日(日)
10:00〜19:00(最終日17:00まで)

新渓園
倉敷市中央1丁目312−2
086-422-0338

11月23日オープニングイベント
着物の紀子先生による
*着物にまつわるお話(無料)
14:00〜15:00
*お一人¥1500にての着付け
(着物持参・要予約)
着物の紀子:090-7130-2577
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オートクチュール業界はChristian Lacroixの破産申し立てから1年以上がたつ様ですが、その後も世界経済は不況の一歩をたどり、未だオートクチュール界にとって厳しい状況が続いています。
最良の美しさを持った芸術性の高い消耗品が失われつつある 今 は、後退して行く様に見えて、実は進化しているという事を受け入れなければならない事実。
すばらしい技術が失われて行く事は寂しい。
けれど、その反面で、新しい 形 が産み出されて、また新たな価値が少しづつ代用されていくのかもしれない。

2010/11/24

明滅 そして Pina Bauschさん

生命と身体と感情


絵画は"いつもそこに或る"のに一つとして同じでないというアンビバレンスな事柄に共感していた。
毎回、毎回、見る度に観賞者の感受性によって違う現れ方をする生命。


しかし、川の流れはどうだろう?
一瞬、一瞬がまたたきであり、不純だ。。
川の流れや光の流れ等、その他の、果てしない一瞬を明滅するものにする為に生命の流れを絵画にしたのがsolなのに、solは鑑賞者を通してでないと川となれない。どこまでも受動的で生の生命体と結合してのみ生命力を得れる。


その、生命を支配している”器”であるような”身体”をもっている地球上の生物は生命という名の絶対性を帯びているから明滅するのか?
などと考察しています。


そんな中、紹介されたPina Bauschさん。
彼女がどのような人物なのか、彼女の作品にも、彼女自身にも接触していない私は不本意ながら、対外的な情報でしか彼女を知る術はない。
それが如何に危険な事なのか、情報社会のもたらす歪みを感じつつ、何も回答できずにいた。


彼女が発進して来た事柄、行為、発言、が関係性に必然を持って、Pina Bauschが作り上げられる。
それは、彼女が希望した事にせよ、しなかったにせよ、波紋は広がり、いつしか、流れるだけの液体から個体となって記録されていく。


彼女が身体を支配するもしくは解き放つ事に秀でていたとするならば、身体と対話する為の精神を支配する事にも秀でていたのかもしれない。
人の行動全てに意味があるように、そこには切っても切れない器と中身の関係があるのだろう。


ダンスの様に、一瞬に命を宿す事のできる芸術は、記録できないものであり、不動的なものとはまったく調子の合わないものだというのに、その生命力がまったく失われず、どこかのバイタイや人の中で存在し続けられるのは、他の生命体が彼女の生命力を受け取ったからこそ、いつまでも引きつける魅力を帯びているのかもしれない。
などとまた、考察してみる。




命と心の関係
色と音の関係
顔色と音色の関係




只、鏡を探す。

2010/11/21

「絵のない絵画展」×食


sottoprodottoでの個展から数ヶ月、「絵のない絵画展」が「絵のない絵画展」×食となって帰ってきました。
コンセプトは「食べる絵画展」
今回のテーマは










    「自となる明滅」











期間 2010.11.23 →2011.1.16

場所 ITALIAN erbaggio
   ■住所/高松市丸亀町弐番街2号館2F
   ■TEL/087-813-1678
平 日/11:00~15:00(14:00 L.O)
17:00~22:00(21:30 L.O)
土日祝/11:00~22:00(21:30L.O)

期間中、erbaggio×HANNAのコラボレーションメニューをお届けします。

HANNAは「何を描くか、ではなく、いかに描くか」に着目した画家です。
よって、求める事は一つでもバイタイは複数です。

そのバイタイにerbaggioが如何に切り込んで来るのか、未だ未知数ですが、産み出されたプロセスが、どうに感覚神経を魅了するのか探る為の第一歩です。



日々、自ら、自となり得るものを選択している私達生命体は食す、実をどのようにして吸収するのか?
はたまた、融合し合う生命体はどのような光を持って、その複雑な色見を共有し合うのか?

満ち欠けを繰り返す個々と個々とココの狭間で起こりうる変化を味見を使って感じて頂きたいです。


しょくしょくしいしょくしょく。



2010/11/20

Je pense, donc je suis.

Je pense, donc je suis.


Je danse, donc je suis.


je bouge, donc je suis.


Je dessine, donc je suis.





Je ....,donc je suis.

2010/11/19

Lundi

Un jour

J'ai rencontré la lune.
joie avec elle.

J'ai été laissé dégagé.

mais,
elle parte.
je reste.
la vie continue.

2010/11/16

取り出された一部

夏からすぐに行くつもりで行けなかった歯科口腔外科にようやく行って来ました。
親知らずを4本一気に抜く為です。


麻酔を使う手術は人生でこれが二回目。
一度目はパリ郊外のアメリカンホスピタル。忘れもしない、"鍼"事件。
その時は先生の勧めで全身麻酔をしたけれど、今回は眠たくなる麻酔を使用するようです。

手術前、次々に担当者がやって来ては、担当の事柄について説明をしてくれます。
看護婦さんは点滴。薬剤師さんは薬。主治医さんは手術。
みなさん、とても慣れた口調で丁寧に説明してくれたのでまったく不安もなく、軽い気持ちで実地を受ける事ができました。

フランスの時も同じでしたが、腕に番号とバーコードを着けられ、簡易ベットで騒々しくはこばれます。まるで商品のような扱いと寝転んだまま天井がコミカルに動き、流れるさまはとても浮遊的で、現実と異次元が繋がる歪みにいるような印象をうけました。

いよいよ手術台に乗せられ、私の体の上で人と人がこの人体をどうするか話しています。

フランスの時は聞き取れる内容が少なくて、耳に膜が張ったような状態だったので、リアルに異空間をさまよった感覚でした。主治医の清潔過ぎる手袋がにょきっと4つ目の前に洗わると、術用のライトが明滅し、記憶が途切れます。
次に目が覚めたら、病室のベットで寝かされていました。

しかし、今回は眠くなる麻酔なので、いつの間にか手術が始められ、「え!麻酔もきいてないのに!!!」と思ったら、なぜでしょう?ぼやぼやと視界がかすれて、切られても、引っ張られても、痛くありません。ものすごい効果音と遠のく意識が交互に繰り返され、30分程度で終わりました。


術後は麻酔が切れるまでうとうとを繰り返し、だんだん痛くなってくる傷みを気にしながら、病院の方に無理を行って帰宅させていただきました。
傷みはある一定の痛さを超えたら、傷みの増大は止り、今度は腫れがひどくなる様です。
しばらくゴハン食べれないですね。


2010/11/12

他者と他者と多謝



オーバーしない様に、少しずつクールダウンして、次回に備えよう。

「やらざる終えない事」とキャパシティは比例しない。
「やるべき事」とキャパシティも比例しない。
「やらない事」とキャパシティも比例しない。

雑多だけ な事柄を懸念したい。

2010/11/06

透け合って

好きな素材をいじるのは安定している。

人や生命体や物質が動いたり、感動したりする時、脳みそや命令組織のみが感情を持ち、伝達してるとは思えない。私達の中にある細胞ひとつ、ひとつは常に何かを読み取って、映しとる事を繰り返しながら、細胞のひとつ、ひとつが常に感受性のあるモノのように感じている。

それは、生命体でも、物質でも同じ様に複雑で、光と陰は色を産んでくれるのに、その美しさを掴もうとすると消えてしまう。

油絵具を使う時は、入念な下準備の上に指示体、布、膠との格闘に加え、絵具とオイルの調合を考えながら、絵具の特性とオイルの特性を考慮して格闘しなくてはならない上に、描く格闘もしていた。
目指す世界に納得がいかなければ、技法を換えて見たり、足してみたり、落としてみたり。
実に様々な格闘をへて作品が生まれる。

油絵の持つ普遍性を利用する為には、それ相当の技量がないと手を結べないのだろう。

逆に、使い慣れた素材や、好きな素材はなんて世界観を壊さないのだろう。
描いていて、とても自由だ。

只、産まれたての新鮮さを維持できない。
細胞がサラサラと流れて、すぐさま生命力を失ってしまう。

2010/11/04

破損した鏡




ここ数週間の膨大な量の仕事と格闘している間にいろいろな事がおきました。

その中の一つのお話。
ある日、寝て起きたら、昔からあった全身鏡が粉々に砕けていた。
割った記憶も無ければ、割れた音を聞いた覚えも無い。
確かに、自分で割ろうと思って周りの額を外して、鏡だけを生身の状態で立てかけてはいたけれど、いつのまに割れてしまったのだろう?
同じ空間にいたはずなのに、鏡の割れた理由が分からない。

複雑な心境の中、ガラスの破片にまみれながら反射されるまた別の事柄を整頓する。




本島


galleryARTE+瀬戸内アートウエーブが主催となって行われている、食とアートのプロジェクト 塩飽本島 晴れに耕す。そしてアート のレジデンス成果見に本島まで行って来ました。
今回、レジデンス作家となった山田 健二 、松宮硝子柴田智明を初め、
協賛アーティストの作品も展示してあります。
阿部安人、倉本秀彦、内田江美、佐伯霜、櫻井伸也、大木裕之、チバナオミ、彦坂尚嘉

詳しい内容はこちらからアクセス下さい。

2010/11/02

l'oeuf〜おいしいものはべつばら〜

先月末に開催された舞台”l’oeuf〜おいしいものはベツバラ〜”の講演が無事終了しました。

サンポート高松で行われたこの舞台は港大尋さんと青木尚哉さんがコラボレーションする舞台に出演したいダンサーを一般募集し、オーディション形式で出演者を選び、計12回のワークショップを通して作品を作り上げるという実験的なプロジェクトでした。
舞台の内容が見え始めた頃にはソプラノ歌手の高村聡子さんも加わり、さらに作品の世界が広がりました。本当に様々な人々の道の通過地点が重なり会い、少しずつで着上がった作品です。


事後報告ながら、今回、HANNAは衣装を担当させて頂きました。
洋服から離れて3年、まさかこんなにも早く、しかも自然に洋服に関わる仕事が出来るとは考えていなかったので、偶然の中の必然を感じています。

今回は作品の持つ世界を代表する役割を担っていたので、 何処 まで 何 がどう 出来るかを日々考えながら取り組ませて頂きました。舞台衣装の専門でないからこそ、出来る事を考え、踊っているダンサーが心地よい衣装、又はダンサーがより輝く衣装を目指しました。メンバー全員の個性や希望を引き出し、提案できていれば光栄です。
また、反省点も多く、舞台衣装ならではの難しさや定義が把握しきれずにまだまだ舞台衣装としての未熟さも痛感いたしました。


この場を借りて今回お世話になった、港さん、青木さん、高村さん、ならびに受講生の皆さん、スタッフの皆さん、その他ご来場頂いた全ての方にお礼申し上げます。
この舞台に関わった全ての方にとって実りのある通過点になって行く事を願っています。

ありがとうございました。