2010/12/30

la femme quittee

la femme quittee.


......


vous etes quitte?
tiens oui. vous avez raison.




fin du preambule.

2010/12/26

雪の日の思い出


それは、ある雪の日の話し。

その日はグレーがかった空から真っ白い雪花がちらついていた。私は学校をおえて一人で帰路を辿っていた。あまりにも寒いので、むき出しになった脚は林檎模様に変わっていた。あたりはみるみるうちに白くなり、まるで凍ったかのようなシンとした空間を作りだした。冷えた空気が鼻先を突き刺す。空と雪花の作り出す独特な緊張感が絶妙な神秘性を作り出していた。私は手袋でほっぺたを暖めながら歩いた。。。

すると道端にちいさなスズメが横たわっていた。その異様な空気に私は吸い寄せられる様に足取りを止めた。


彼女は死んでいた。


まだ、暖かみを帯びた羽が小さく揺らいでいる。私の小さな心はドクン、と一なり大きな音をたてた。
帰路を進めなかった。
気がついたら、左手の暖かい手袋で彼女を抱き、手袋を取った冷たい右手で地面を掘っていた。

ごつごつと硬い大地はなかなか掘り進めない。辺りにあった石ころや木の枝でガリガリと掘ってみるものの思うように作業は進まない。
次第に右手の感覚がなくなってくる。
爪は黒くにじみ、血管が縮み、みるみる色が変わってしまった。

幾分かたった頃、ようやく彼女が入るだけのスペースを確保できた。

左手でそっと暖まった彼女を置いてみる。
ぴったりだった。心の中で小さく「さよなら」をつぶやいた。そして、少しずつ包み込むように土をかけた。
それはまるで何かの儀式だった。
普段許されない事が許される必要行為へと変わる瞬間。
只静かに雪が土に落ちては消え、落ちては消えを繰り返す儀式。
やがて彼女とのお別れが澄むと、道端に咲いてあった小さな花を添え、精一杯のお辞儀をして去った。

死をホオムル。

その意味を感じた。

僅か9歳の旅立ちだった。


2010/12/18

無実

父親と思しき男が欲しがるタバコを貰えずに 「Putain!」と私に吠える5、6歳の小さな少女。

モンマルトルで出会ったのスリを商いとする、目をギラギラさせた少年。
私と目が合う。
私が見ているのを承知で、大胆に財布をスル。
3回目出会った時、彼は目の前で男性に取り押さえられる。

ムーランルージュ前の通りで私の鞄から財布を盗もうとした小さな少年。
振り返ると、あどけない苦笑を浮かべて、懇願する。

ミラノ駅で夜中じゅう駅を徘徊し、目を光らせる少年。
視界の端に潜む小さな少女が寒そうに手足を暖める。

アテネの世界遺産を背景に裸足でサッカーボールを蹴る少年。
フェンスで仕切られた小石だらけの広場と観光客が行き交う世界遺産。
行き宛も無い老犬が少年を只眺める。

ギリシャとトルコの国境に住み着く野良犬。
国境沿いに入念に張られた防波ネットと数台の戦車が国境と国籍、人種を制圧する。
恐ろしい形相の兵士が私に問いかける。
この時点では私は犯罪者 未満 の様な扱いを受ける。
問診の最後にようやく目に光を宿してくれる。
心のみ無視して。

サクレクール寺院前の広場で林檎をかじる少年。
3口目で忘れられる林檎。
皆が忘れ去った後、破損し、砕け散って、バラまかれ、鳩の餌にもならずに、こびりつく。

朝のメトロの中で林檎をかじる赤いコートを着た少女。
おもむろに雑多な鞄からとリ出すのは真っ赤なその場でかじりつく為の林檎。

己を知る男。
己の尺度を他人と共有するべく、己の尺度で他人を計る男

2010/12/13

[Shadows: Art Jewelry exhibition] Liisa Hashimoto展

半年ぶりに大阪まで足を伸ばしてきました。
目的は約束を果たす為と、友人の知人であるアクセサリー作家のLiisa Hashimotoさんの個展にお邪魔する為です。


細部まで作り込まれた強さのある細密さが心地よい空気感を作り上げています。
一点一点のアクセサリーがそれぞれの質感を持って、存在しています。







以下、 LiisaさんのPHより






  • [Shadows: Art Jewelry exhibition]
    Liisa Hashimoto 個展
    millibar GALLERY にて。
  • 12月2日(木)~12月12日(日)
    close:12月8日(水)
    在廊日:12/2(木)・4日(土)・5日(日)・11日(土)・12日(日)
    12月4日(土)17時より20時まで
    2F ギャラリー&サロンにて「レセプションパーティー」開催。参加自由。
    open:11:30~20:00
    最終日は18:00まで。

    大阪市西区立売堀1-12-17 artniks bld.2F
    tel/ 06-6531-7821 http://gallery.artniks.jp/

展示期間終了後の告知、申し訳ないです。。。



2010/12/10

イロ



2010/11/29

相対性理論

科学の世界では光の速度によって人が認識する色や形は違うそうです。
物質が光の速度の99%で動くと人は動く物質を本来(日常)とは違う認識するのだそうです。



融合したり結合したり。
精選したり精鋭したり。

ça はどのようなイデオロギーなのか?
何をどう、映し出せば正しいのだろうか?
どう行動すればいいのか?
術を知らない。




2010/11/28

美観地区とMONJA





パリ時代、同じ釜の飯を食べた友人の展示会へ行ってきました。
今回は倉敷、美観地区。
彼女の世界は倉敷の世界とよく合っています。

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡ MONJA−古布mode−
第3回目個展 〜Roman艶〜
岡山県倉敷市の
大原美術館隣 新渓園にて開催
2010年11月23日(火)〜28日(日)
10:00〜19:00(最終日17:00まで)

新渓園
倉敷市中央1丁目312−2
086-422-0338

11月23日オープニングイベント
着物の紀子先生による
*着物にまつわるお話(無料)
14:00〜15:00
*お一人¥1500にての着付け
(着物持参・要予約)
着物の紀子:090-7130-2577
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

オートクチュール業界はChristian Lacroixの破産申し立てから1年以上がたつ様ですが、その後も世界経済は不況の一歩をたどり、未だオートクチュール界にとって厳しい状況が続いています。
最良の美しさを持った芸術性の高い消耗品が失われつつある 今 は、後退して行く様に見えて、実は進化しているという事を受け入れなければならない事実。
すばらしい技術が失われて行く事は寂しい。
けれど、その反面で、新しい 形 が産み出されて、また新たな価値が少しづつ代用されていくのかもしれない。

2010/11/24

明滅 そして Pina Bauschさん

生命と身体と感情


絵画は"いつもそこに或る"のに一つとして同じでないというアンビバレンスな事柄に共感していた。
毎回、毎回、見る度に観賞者の感受性によって違う現れ方をする生命。


しかし、川の流れはどうだろう?
一瞬、一瞬がまたたきであり、不純だ。。
川の流れや光の流れ等、その他の、果てしない一瞬を明滅するものにする為に生命の流れを絵画にしたのがsolなのに、solは鑑賞者を通してでないと川となれない。どこまでも受動的で生の生命体と結合してのみ生命力を得れる。


その、生命を支配している”器”であるような”身体”をもっている地球上の生物は生命という名の絶対性を帯びているから明滅するのか?
などと考察しています。


そんな中、紹介されたPina Bauschさん。
彼女がどのような人物なのか、彼女の作品にも、彼女自身にも接触していない私は不本意ながら、対外的な情報でしか彼女を知る術はない。
それが如何に危険な事なのか、情報社会のもたらす歪みを感じつつ、何も回答できずにいた。


彼女が発進して来た事柄、行為、発言、が関係性に必然を持って、Pina Bauschが作り上げられる。
それは、彼女が希望した事にせよ、しなかったにせよ、波紋は広がり、いつしか、流れるだけの液体から個体となって記録されていく。


彼女が身体を支配するもしくは解き放つ事に秀でていたとするならば、身体と対話する為の精神を支配する事にも秀でていたのかもしれない。
人の行動全てに意味があるように、そこには切っても切れない器と中身の関係があるのだろう。


ダンスの様に、一瞬に命を宿す事のできる芸術は、記録できないものであり、不動的なものとはまったく調子の合わないものだというのに、その生命力がまったく失われず、どこかのバイタイや人の中で存在し続けられるのは、他の生命体が彼女の生命力を受け取ったからこそ、いつまでも引きつける魅力を帯びているのかもしれない。
などとまた、考察してみる。




命と心の関係
色と音の関係
顔色と音色の関係




只、鏡を探す。

2010/11/21

「絵のない絵画展」×食


sottoprodottoでの個展から数ヶ月、「絵のない絵画展」が「絵のない絵画展」×食となって帰ってきました。
コンセプトは「食べる絵画展」
今回のテーマは










    「自となる明滅」











期間 2010.11.23 →2011.1.16

場所 ITALIAN erbaggio
   ■住所/高松市丸亀町弐番街2号館2F
   ■TEL/087-813-1678
平 日/11:00~15:00(14:00 L.O)
17:00~22:00(21:30 L.O)
土日祝/11:00~22:00(21:30L.O)

期間中、erbaggio×HANNAのコラボレーションメニューをお届けします。

HANNAは「何を描くか、ではなく、いかに描くか」に着目した画家です。
よって、求める事は一つでもバイタイは複数です。

そのバイタイにerbaggioが如何に切り込んで来るのか、未だ未知数ですが、産み出されたプロセスが、どうに感覚神経を魅了するのか探る為の第一歩です。



日々、自ら、自となり得るものを選択している私達生命体は食す、実をどのようにして吸収するのか?
はたまた、融合し合う生命体はどのような光を持って、その複雑な色見を共有し合うのか?

満ち欠けを繰り返す個々と個々とココの狭間で起こりうる変化を味見を使って感じて頂きたいです。


しょくしょくしいしょくしょく。



2010/11/20

Je pense, donc je suis.

Je pense, donc je suis.


Je danse, donc je suis.


je bouge, donc je suis.


Je dessine, donc je suis.





Je ....,donc je suis.

2010/11/19

Lundi

Un jour

J'ai rencontré la lune.
joie avec elle.

J'ai été laissé dégagé.

mais,
elle parte.
je reste.
la vie continue.

2010/11/16

取り出された一部

夏からすぐに行くつもりで行けなかった歯科口腔外科にようやく行って来ました。
親知らずを4本一気に抜く為です。


麻酔を使う手術は人生でこれが二回目。
一度目はパリ郊外のアメリカンホスピタル。忘れもしない、"鍼"事件。
その時は先生の勧めで全身麻酔をしたけれど、今回は眠たくなる麻酔を使用するようです。

手術前、次々に担当者がやって来ては、担当の事柄について説明をしてくれます。
看護婦さんは点滴。薬剤師さんは薬。主治医さんは手術。
みなさん、とても慣れた口調で丁寧に説明してくれたのでまったく不安もなく、軽い気持ちで実地を受ける事ができました。

フランスの時も同じでしたが、腕に番号とバーコードを着けられ、簡易ベットで騒々しくはこばれます。まるで商品のような扱いと寝転んだまま天井がコミカルに動き、流れるさまはとても浮遊的で、現実と異次元が繋がる歪みにいるような印象をうけました。

いよいよ手術台に乗せられ、私の体の上で人と人がこの人体をどうするか話しています。

フランスの時は聞き取れる内容が少なくて、耳に膜が張ったような状態だったので、リアルに異空間をさまよった感覚でした。主治医の清潔過ぎる手袋がにょきっと4つ目の前に洗わると、術用のライトが明滅し、記憶が途切れます。
次に目が覚めたら、病室のベットで寝かされていました。

しかし、今回は眠くなる麻酔なので、いつの間にか手術が始められ、「え!麻酔もきいてないのに!!!」と思ったら、なぜでしょう?ぼやぼやと視界がかすれて、切られても、引っ張られても、痛くありません。ものすごい効果音と遠のく意識が交互に繰り返され、30分程度で終わりました。


術後は麻酔が切れるまでうとうとを繰り返し、だんだん痛くなってくる傷みを気にしながら、病院の方に無理を行って帰宅させていただきました。
傷みはある一定の痛さを超えたら、傷みの増大は止り、今度は腫れがひどくなる様です。
しばらくゴハン食べれないですね。


2010/11/12

他者と他者と多謝



オーバーしない様に、少しずつクールダウンして、次回に備えよう。

「やらざる終えない事」とキャパシティは比例しない。
「やるべき事」とキャパシティも比例しない。
「やらない事」とキャパシティも比例しない。

雑多だけ な事柄を懸念したい。

2010/11/06

透け合って

好きな素材をいじるのは安定している。

人や生命体や物質が動いたり、感動したりする時、脳みそや命令組織のみが感情を持ち、伝達してるとは思えない。私達の中にある細胞ひとつ、ひとつは常に何かを読み取って、映しとる事を繰り返しながら、細胞のひとつ、ひとつが常に感受性のあるモノのように感じている。

それは、生命体でも、物質でも同じ様に複雑で、光と陰は色を産んでくれるのに、その美しさを掴もうとすると消えてしまう。

油絵具を使う時は、入念な下準備の上に指示体、布、膠との格闘に加え、絵具とオイルの調合を考えながら、絵具の特性とオイルの特性を考慮して格闘しなくてはならない上に、描く格闘もしていた。
目指す世界に納得がいかなければ、技法を換えて見たり、足してみたり、落としてみたり。
実に様々な格闘をへて作品が生まれる。

油絵の持つ普遍性を利用する為には、それ相当の技量がないと手を結べないのだろう。

逆に、使い慣れた素材や、好きな素材はなんて世界観を壊さないのだろう。
描いていて、とても自由だ。

只、産まれたての新鮮さを維持できない。
細胞がサラサラと流れて、すぐさま生命力を失ってしまう。

2010/11/04

破損した鏡




ここ数週間の膨大な量の仕事と格闘している間にいろいろな事がおきました。

その中の一つのお話。
ある日、寝て起きたら、昔からあった全身鏡が粉々に砕けていた。
割った記憶も無ければ、割れた音を聞いた覚えも無い。
確かに、自分で割ろうと思って周りの額を外して、鏡だけを生身の状態で立てかけてはいたけれど、いつのまに割れてしまったのだろう?
同じ空間にいたはずなのに、鏡の割れた理由が分からない。

複雑な心境の中、ガラスの破片にまみれながら反射されるまた別の事柄を整頓する。




本島


galleryARTE+瀬戸内アートウエーブが主催となって行われている、食とアートのプロジェクト 塩飽本島 晴れに耕す。そしてアート のレジデンス成果見に本島まで行って来ました。
今回、レジデンス作家となった山田 健二 、松宮硝子柴田智明を初め、
協賛アーティストの作品も展示してあります。
阿部安人、倉本秀彦、内田江美、佐伯霜、櫻井伸也、大木裕之、チバナオミ、彦坂尚嘉

詳しい内容はこちらからアクセス下さい。

2010/11/02

l'oeuf〜おいしいものはべつばら〜

先月末に開催された舞台”l’oeuf〜おいしいものはベツバラ〜”の講演が無事終了しました。

サンポート高松で行われたこの舞台は港大尋さんと青木尚哉さんがコラボレーションする舞台に出演したいダンサーを一般募集し、オーディション形式で出演者を選び、計12回のワークショップを通して作品を作り上げるという実験的なプロジェクトでした。
舞台の内容が見え始めた頃にはソプラノ歌手の高村聡子さんも加わり、さらに作品の世界が広がりました。本当に様々な人々の道の通過地点が重なり会い、少しずつで着上がった作品です。


事後報告ながら、今回、HANNAは衣装を担当させて頂きました。
洋服から離れて3年、まさかこんなにも早く、しかも自然に洋服に関わる仕事が出来るとは考えていなかったので、偶然の中の必然を感じています。

今回は作品の持つ世界を代表する役割を担っていたので、 何処 まで 何 がどう 出来るかを日々考えながら取り組ませて頂きました。舞台衣装の専門でないからこそ、出来る事を考え、踊っているダンサーが心地よい衣装、又はダンサーがより輝く衣装を目指しました。メンバー全員の個性や希望を引き出し、提案できていれば光栄です。
また、反省点も多く、舞台衣装ならではの難しさや定義が把握しきれずにまだまだ舞台衣装としての未熟さも痛感いたしました。


この場を借りて今回お世話になった、港さん、青木さん、高村さん、ならびに受講生の皆さん、スタッフの皆さん、その他ご来場頂いた全ての方にお礼申し上げます。
この舞台に関わった全ての方にとって実りのある通過点になって行く事を願っています。

ありがとうございました。

2010/10/22

青木尚哉×港大尋の舞台

瀬戸内国際芸術祭関連イベントです。

コンテンポラリーダンスのダンサーとマルミュージシャンの作品
『l'oeuf 〜おいしいものはべつばら〜』の開演が今月末に迫って来ています。
詳しい詳細は以下にリンクしておきます。



様々な世界の痕跡が大変面白い舞台となっております。
今からとても楽しみです。

2010/10/20

豊島



藤さんにお会いする事が出来ました。
続 も楽しみです!

2010/10/11

the end of the world

さんざん、迷って、メディアを使います。

着地点を強行して見つけた方の話しを今日聞きました。
手段の選び方次第で 他者の未来を変える様な力を持つ行為。

28歳の着地点。

受け止めれるだけ受け止めたいと素直におもった。

おめでとう。 そして

友人の結婚をお祝いするべく、東京まで行って来ました。
久しぶりの再会。
話したい事が滝の様に溢れて、止らない。

どうかどうか祈る様なき気持ち。
「おめでとう」で言い表せない気持ち。

また、近いうちに会おうね。
今度は岡山かな?

2010/09/26

有機と無機

ここ最近、改めてイメージの連鎖を否定しているような気がしている。
潜在的な、混在的なイメージを持った物質が重く感じている。
物質や個体の持つ、固定概念や意識が邪魔に思えて仕方ない。

そんななか、今日は新鮮な感覚があった。
それは、有機物質と無機物質が触れ合うと言う事。

身体とはなんて率直なんだろう。
視覚的にも聴覚的にも、その他どれだけ感覚的に他人によりそっても、決して融合しない物質が身体をバイタイとして、ほんのささいなきっかけで、その身体を融合できるなんて。

人間が動く行為の根源には、すくなからず予測が含まれていると思う。
例えば、口に水を含んだまま、あくびをする人はすくないだろう。

目に見える絵や色が精神や意識を共有する間接的行為を 無機物質 であるとするならば、直接、他者と触れ合い、関わりを共有する直接的行為は 有機物質 になるのだろうか?

普段、直接共有しない私には、とても新鮮に思えた。


2010/09/19

「ミュージアムの・もうひとつ」

Takamatsu Contemporary Art Annual Vol.01"Another Carnival"


初日のテープカットも無事終わり、関係者がぞくぞくと高松市美術館に集まってきています。

オープニングに行われた様々なイベントもお腹いっぱいな内容でした。
青木陵子さんと猪瀬直哉さんのトークショー、石田尚志さんのパフォーマンス実験、ゲストトークどれも聞きごたえのある内容でした。

作家本人の話しを聞くと、急に作品との距離が近くなったような気分にさせられます。
青木さん、猪瀬さんお二人作品に見え隠れするちょっとしたアイディアや制作姿勢を垣間みれた気がしました。
また、石田さんの映像パフォーマンスは映像、音といったメディアをいかに芸術というフィールドまで引っ張り上げるか、そんな石田ワールドの入口まで案内してくれる内容となっていました。改めて、身体的な表現がダイレクトに心に届く事を実感させられました。

最後に、ゲストとして来られた浅井俊祐氏(水戸芸術館現代美術センター芸術監督/本展アドバイザー)と林洋子氏(京都造形芸術大学准教授/本展アドバイザー)の二人による「ミュージアムの・もうひとつ」というトークにも参加できました。
まず、浅氏の美術館運営において、いかにして、モノを求めた美術館から、コトを求める美術感へいかに変わっていったかというお話から、林氏の歴史史から、「生きた美術館」を求めて、についてのお話が聞けました。
美術界における今後の課題を客観的に聞ける貴重な場となりました。

感想としては、まず、現代に先攻している現代美術の流れが私達(現代人)が仮においている美術、もしくは現代美術(コンテンポラリーアート)と呼ばれるカテゴリーと歴史的現代美術とは違う美術と言うことを定義づけられる様な内容だった。

認識としては、現代美術と読んでいた"アート"とは違う"アート"が今というこの瞬間に闊歩し、満ちきった結果、まさに"アート"の撹乱が起きている。

それを分かりやすく例えて「取っ付きやすくなったアート」と呼んでいたのだろう。
それとも、「街場」(街起こしや環境問題、社会情勢と絡んだアート)と呼んでいただろうか。未だ言葉すらない気配に「言葉」で求めた内容でした。

決定結論が近い将来見えれば、美術界全体の発展に繋がる定義なのでしょうね。
しかし、それこそが、作家や美術界全体が作り上げる副産物なのだろう。

また、美術館のあり方や、タイプについての議論で、古典派とホワイトキューブ派と地域巻き込み派を例に出しておられました。

私の様に、ヨーロッパ文化のバファエロやミケランジェロやピカソやクリムトを美術館で見て、それを芸術として認識し、ウォーフォルやタルコフスキーを異端児(仮)と認識してきた人間にはやや外れた感のあるホワイトキューブがどうで、古典的展示会場がどうでという議論までてんこもりでした。

そう、最近、よく耳にする、「現代美術の作家はホワイトキューブと戦ってる。」とか、「ホワイトキューブを好むか」とか、「ホワイトキューブを嫌がる」という話し。

私は、展示場所として、ホワイトキューブを懸念したりしない。
しかし、好みもしない。それは、私の美術史が、ルーブルやオルセー、または、西洋の歴史的教会から始まっているからだろう。

いままでの、カビ臭い、古くさい。または、新鮮。。。。。。
な美術館から、"生きた美術館"が年月を経て生み出されて行くのだろう。
考察はつづく


2010/09/15

Takamatu Contemporary ART Annual Vol.01

Takamatu Contemporary ART Annual Vol.01

興味深い内容です。
現代アートの見せる多様性、他 の バイタイ と 会わせた作品。

納められたアート。
空間支配。

溢れ出すのは 何 か?