2014/04/24

よっつのワルツ



いくら言葉を駆使して、選んで、余白の力を借りても、包まれた中身は不確かで、信じれるものは何も無い。
それでも、人は言葉を選択し、創造的な素材として操る。
素材の色色に心すら躍らせる。

只、一つ確かなことは、あの日、あの瞬間に、光の先に今を紡ぐ動機となるほどの熱量をもった美しい事柄の一つを感じたと云う事。

それはオブラートに包まれた言葉や、余白をイロどる素材の何かではなくて、真実に連結する全て。


昔、パリ郊外の片田舎に住んでいた頃。
大きなお屋敷の小さな部屋が、私が借りた最初のアトリエだった。
まだインターネットも通っていなかった。
部屋に時計すらなかった。
それどころか、スーパーに行く事も出来ず、話す人もいなかった。

完全なる隔離。
私はあらゆる欲求から完全に孤立していた。
毎日、スケッチや油絵を描いて過ごした。

机の上に並べられた絵具、パレット、キャンバス、スケッチブック、望遠鏡。
小さな窓、外には大きな庭があり、時折、近くの鳥の鳴き声と、遠くの不思議な音が共鳴して私の興味を魅いた。
遠くの方には川が流れているのが見えた。
その向こう岸は霧に包まれていて、よく見えない。

毎日同じ、
同じ部屋、同じ窓、同じ庭、同じ、、、光。
光が自然を変化させ、自然が光を明滅させる。
相互的な共鳴が破壊を産み、何もかもを新しく現し変えた。
毎日違う部屋、違う窓、違う庭、違う世界。

すべては、光の速度を認識する為の実験だった。

「光のための光、色のための色を求めるのではなく、光や色は表現の手段と考えるべきである」