2010/11/24

明滅 そして Pina Bauschさん

生命と身体と感情


絵画は"いつもそこに或る"のに一つとして同じでないというアンビバレンスな事柄に共感していた。
毎回、毎回、見る度に観賞者の感受性によって違う現れ方をする生命。


しかし、川の流れはどうだろう?
一瞬、一瞬がまたたきであり、不純だ。。
川の流れや光の流れ等、その他の、果てしない一瞬を明滅するものにする為に生命の流れを絵画にしたのがsolなのに、solは鑑賞者を通してでないと川となれない。どこまでも受動的で生の生命体と結合してのみ生命力を得れる。


その、生命を支配している”器”であるような”身体”をもっている地球上の生物は生命という名の絶対性を帯びているから明滅するのか?
などと考察しています。


そんな中、紹介されたPina Bauschさん。
彼女がどのような人物なのか、彼女の作品にも、彼女自身にも接触していない私は不本意ながら、対外的な情報でしか彼女を知る術はない。
それが如何に危険な事なのか、情報社会のもたらす歪みを感じつつ、何も回答できずにいた。


彼女が発進して来た事柄、行為、発言、が関係性に必然を持って、Pina Bauschが作り上げられる。
それは、彼女が希望した事にせよ、しなかったにせよ、波紋は広がり、いつしか、流れるだけの液体から個体となって記録されていく。


彼女が身体を支配するもしくは解き放つ事に秀でていたとするならば、身体と対話する為の精神を支配する事にも秀でていたのかもしれない。
人の行動全てに意味があるように、そこには切っても切れない器と中身の関係があるのだろう。


ダンスの様に、一瞬に命を宿す事のできる芸術は、記録できないものであり、不動的なものとはまったく調子の合わないものだというのに、その生命力がまったく失われず、どこかのバイタイや人の中で存在し続けられるのは、他の生命体が彼女の生命力を受け取ったからこそ、いつまでも引きつける魅力を帯びているのかもしれない。
などとまた、考察してみる。




命と心の関係
色と音の関係
顔色と音色の関係




只、鏡を探す。